僕は正論を言われても大丈夫か

私はかつてある人に対し、「僕は正論を言われても大丈夫だ」といったようなことを言った覚えがある。今から考えてみれば、なぜそんな大それたことを言ったのだろうかと疑問に思う。私も勿論、ある種の正論*1によって自分の欠点を指摘されれば、酷くショックを受けることがあるし、その正論に傷つけられることもあるのだ。

だが、この発言の意味することが「正論を言われても傷つかない」という意味でないとするならば、私は「正論を言われても大丈夫」な人間なのかもしれない。

どういうことかというと、私は例えそれが自分を傷つけるものであっても、それが私にとって事実であれば、そのことを気付かせてくれた人に感謝するのではないだろうか、ということである。なぜならば私は何よりも自分を識ることを欲する人間だからだ。

ただし、短期的な感情に関して言えば、私は正論*2を私に対する不当な攻撃である判断し、正論を言った相手に対して、感謝の念よりも怒りをかんじ、深い悲しみを強く感じることもある。そしてその正論が、私にとってあまりにも強烈なものであれば、私はその「短期的な感情」に永遠にとらわれ続けることも考えうるのである。そして、そういった状況に陥った場合、そのことに対する自覚を得ることは困難であると考えられるから、私がいまその状況に気付かないうちに陥っている可能性は極めて高いのである。

こうやって考えてみると、私はいずれの意味合いにおいても「正論を言われても大丈夫だ」などということはできないだろう*3

*1:何が正論かという問題は、非常に複雑なものであるので、ここでは触れないこととする。

*2:「私の欠点に対する指摘」と言い換えたほうが適当かもしれない。

*3:これは私がこの文章を書き始めたときには、想定していなかった結論である。