東浩紀氏の『動物化するポストモダン』を読んで世界と主体の関係に関するモデルを思いついた。シミュラークル等の概念が間違っている可能性があり、充分に練れていない部分もあるが、とりあえず載せてみる。
- 物理的世界のデータは、センスデータという表層を通して初めて主体に認識される。
- 主体とセンスデータは精神世界側に属する。
- 物理世界のデータベースを参照し、センスデータを生み出すのは何か?
- センスデータはシミュラークルではない?
- 主体はセンスデータを断片化し自らのデータベースに保存する。(記憶)
- 主体のデータベースも精神世界側に属する。
- 主体は無意識によって作られたシミュラークルを通して自らのデータベースの内容を復元しようとする。主体はそこから新たなシミュラークルを生産する。シミュラークルは再び断片化されデータベースに格納される。(思考)
- 主体が自らのデータベースの内容を物理世界のデータベースに反映するためには、人格によるシミュラークルを物理世界の側に生産する。(行動)
関連書籍
- 『動物化するポストモダン』 [別窓] (東浩紀 / 講談社 / 文庫 / 735円)