風景のノスタルジー

以下の文章は、K. N. 教授の講義「風景としての世界」において、私が風景について考えた内容である。

風景を風景たらしめる中心的な要素として、ノスタルジーの喚起というものがあるだろう。景観が一つの普遍的な美の想定に基づいた文脈であるのに対し、個々の主体が自らを世界に対して照射することによって個別に見いだされる、そのようなものとして、私は風景という語をとらえる。

だから風景というものは、個々の主体の現実的もしくは虚構的,〈捏造〉的な記憶の上に成り立つ〈座標〉上の価値として扱われるべきではないだろうか。