世界の一つの現れと認識者

一としての世界があり、時間や空間といったものは、その認識における一つの現れである、という解釈を私は考えている。だがここで、認識者は、世界にとって,あるいは世界において、いったい何であろうか。認識者は当然世界の内にあるのだ、と考えると、そこにおいて現れる、時間や空間といったものは、世界にとっていったいどのようにあるのか、という問題が生じてくる。それは、世界がもともとそのように現れるものとしてある、ということになるだろう。そしてそこでは、認識者がいて世界がそのように現れる、というよりもむしろ、世界がそのように現れ認識者が成立する、といった方が適当ではないだろうか。