「これは美しい」への同意を、他者に要求することはできない

他者との間に「美しい」という言葉についての、なんらかの共通理解がなければ、「これは美しい」と言うことは、意味を持ちえない。ここから一見、他者に対して「これは美しい」への同意を要求することは妥当であるように思われる。けれども、それは間違っているだろう。

なぜなら、この「美しい」という言葉は、〈私〉と他者との間において生じるものについての言葉だ、と考えられるからだ。そして、そうであるとすれば、私の〈私〉とある他者の〈私〉は異なり、すなわち個々の〈私〉と対象との間において生じるものも異なってくる以上、当然「美しい」という言葉が直接指し示すものとして、同一のものを私と他者は共有することができない、ということになる。

したがって、他者において私の「美しい」が指し示すものが対象となりえない以上、他者に対して同意を要求することはできない*1、と言えるだろう。



上記の文章は、H.T. 氏の「カントと認識論の諸問題」の講義において提出した小レポートに、一部変更を加えたものである。

*1:「要求」ではなく「期待」ならば、それを妨げるものはないだろう。