法と慣習

東横イン西田憲正社長の発言はなぜ懸命でないのか。東横イン西田憲正社長の発言はなぜ憎めないのか。」を書きながら思いついた、法と慣習に関する考えを以下に書く。

法は絶対的なものであり犯してはならず、法に対し不満があるならばそれを改変する努力をすべきだ、というのが法治社会の前提である。しかし実際問題として、一般的な個人や集団が法を改正することは極めて困難である。そのため、社会的な批判を受けずに現在の方に法する行為を行う方法として最も妥当なのは、法に対して不満があるならば、「この程度ならば法を犯しても許される」という基準を慣習の中に組み込む努力をすることであるということになる。

[『浄土』書影]

この様なことが可能なのは、法もまた一つの慣習であり、それよりも上位に位置する慣習を構築することが可能である故である。所謂「原理原則人間*1」は、この「法も一つの慣習である」ということを忘れているのである。

2006年1月26日追記

この文章は、法は可能な限り尊重すべきであるということを否定するものではなく、法を犯すことを推奨する意図はない。あくまでも大切なのはバランス感覚である、ということだ。

関連書籍(Amazon.co.jp [別窓])

*1:町田康の『自分の群像』(「浄土」収録)に出てくる取引先の社長?が好例だろう