2007-01-01から1年間の記事一覧

世界との関係の限界に挑むものとしての哲学――『レヴィナス入門』

熊野純彦 著(1999年) ちくま文庫 レヴィナスの思想はぼくの詩に訴えかけてくる。ぼくの詩はぼくの哲学に対して、少なからぬ着想を与えてくれると共に、その厳密性を損なわせもする。そういう意味で、かれの思想はぼくにとって危険を孕んでいる。しかし哲学…

皮膚に,身体に訴えかけ,圧倒してくれるアートへの期待――「現代美術の皮膚」展

11月29日に、中之島の国立国際美術館へ、友人2人と行ってきた。企画展の主題は「現代美術の皮膚」。美術手帳などで見て、気になっていた展覧会だったのだが、実際に見てみると、今ひとつピンとこない展示だった。それなりに興味深い展示もあるにはあった。し…

風景のノスタルジー

以下の文章は、K. N. 教授の講義「風景としての世界」において、私が風景について考えた内容である。風景を風景たらしめる中心的な要素として、ノスタルジーの喚起というものがあるだろう。景観が一つの普遍的な美の想定に基づいた文脈であるのに対し、個々…

『妖女サイベルの呼び声』

Patricia Ann McKillip 作(1974年) 佐藤高子 訳(1979年) 原題 "The Forgotton Beasts of Eld" 早川 FT 文庫(1979年) Sybel が世間と交わることを通して知っていくことになる愛と憎しみを描く上で、彼女の、声によって相手を呼び寄せる、という妖術が効…

歪んだ道

初老の男性が喪服に身を包み歪んだ道を歩く。すれ違いながら、その貌にまだ死の色がないことを、安堵しながら少し寂しく感じる。目の前には死を象徴する建物があるので、ぼくはその領域とこちら側との隙間をのぞき込んでみる。けれどもそこにはノスタルジー…

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ジェンダー的 SF ミステリーにおける同性愛に関する記述――『BG、あるいは死せるカイニス』

石持 浅海 作(2004年) 人間は全て女性として生まれ、一部のみが男性化する、という世界を舞台とした SF ミステリー。佳作だと思うが、いくつか気になる点があった。 特に気になったのは、以下の同性愛についての記述だ。 仕方がないから女同士で擬似的に快…

ダリ展

学部の友人裳野氏と、サントリー・ミュージアム[天保山]へ『ダリ展』を見にいってきた。僕はそれ程 Salvador Dali が好きではないな、ということの確認という部分も多かった。しかしやはり実物を見ると、例えば Dali の絵のマティエールはのっぺりした感じ…

『ナイチンゲールは夜に歌う』

John Crowley 作(1983〜1989年) 浅倉 久志 訳 (1996年) 加藤 俊章 装幀画 SF ファンタジー文学短編集。新たな世界の創造に対する渇望と困難が描かれた、素晴らしい作品群。特に「時の偉業」は時代改変ものの快作。 mixi 2006年11月9日 検索用単語 ジョン…

『不思議の国のアリス』―― 良訳

Lewis Carroll 作(1865年) 矢川 澄子 訳 (1990年) 金子 国義 挿画 原題 "Alice's Adventures in Wonderland" 独特のリズムを持った口語調の訳が、初めは若干違和感があるものの、読み出すと大変心地よい。「お話」としての原作を生かした素晴らしい訳で…

『夜来たる』―― Asimov 珠玉の短編集

Isaac Asimov 作 美濃 透 訳 SF の短編に求められるものの、その最もたるものとして、価値の転倒と云うものがあげられるだろう。そして本書に収められた短編は、何れもその条件を満たしている。下に表題作についてのネタばれあり。

禁止された存在様態

私の存在様態は、当局によって禁止されている 私の存在様態は、世界において絶対的に異端である 私の存在様態は、かれらの存在様態と矛盾的であるかれらの存在様態は、閉じた調和を求めていた かれらにとって私は存在の危機であった存在以前の私は、存在以前…

Shakespeare "The Sonnets" XVIII の訳

文学部共通概説の H.N. 准教授の講義のレポートで訳したものの転載。 あなたを夏の日で喩えられようか あなたはもっと美しく もっと穏やかな性〔さが〕のものだ 激しい風は五月の愛〔う〕い芽を揺らし 夏はあまりにも命短い ときに暑すぎるほど天眼は輝き そ…

道具主義の「真理」と、世界そのものとしての「真理」

以下の内容は「哲学基礎 A」の講義において考えたものである。 道具主義(Pragmatism)*1において目指されているものは何だろうか。そこでは〈私たち〉にとって有用なものが、合意によって「真理」であるとされる。しかしそれを「真理」と呼んでしまうことに…

心身問題に関する試論

以下の内容は「世界の思想 ――認識するとはどういうことか――」の講義において考えたものである。 感覚器官により、私の身体に与えられた刺戟が、神経信号に変換される。これが言語野に伝えられ、言語的に認識される。この言語化の働きこそが〈私〉である、と…

『飼育、死者の奢り』

作:大江健三郎 大江健三郎氏の作品は、以前特に選びもせず読み始めた作品が好みに合わず、それ以来全く読んでいなかったのだが、やはり他の作家への影響等を考えると、読まないわけにはいかないと感じたので、比較的好みに合いそうな、初期の作品から読んで…

"The Matrix"

監督:Wachowski 兄弟 主演:Keanu Reeves 楽しめる映画だったがいくつか気になった部分があったので、以下に記す。 たとえ Matrix が虚構時空だとしても、そこに法則が働いている以上、その法則を支配するシステムにアクセスするか、バグを利用するか以外に…

『イノセンス』

監督:押井守 この作品では CG を違和感を覚える程にまで用いることに依り、奇妙な現実感と虚構感が現れている。現実的表現と虚構的表現が入り乱れ、その境界線が曖昧になる。この様な表現は、虚構コンテクスト*1の高いアニメーションという媒体でなければ、…

『ネコソギラジカル』

作:西尾維新 なんか色々バランスが崩れかかっていたけれども、キャラクターのインフレーション等々を考慮すると、まあなんとか巧く纏めたといった印象。いや、やっぱり崩れてしまっているかもしれないが。シリーズ全体の長さとしては妥当だと思われる。戯言…

mixi 転載(2006年7月分)

mixi における作品評などの記事は、こちらのブログの記事の下書き的性格を持たせていたはずなのに、昨年の7月以降転載等をほとんど行っていない。1年近く前の記事もあるので、今以上に稚拙なものも多いが、SNS という閉鎖空間にとどめておくのは、何となくも…

グロテスクなシ

ぼくにはもう、グロテスクになりたいという衝動しか残されていなかったのですよ。かれはぼくに語る。この上なくグロテスクに息絶えているかれは。自分をグロテスクに変容させたいという衝動しか、と。 かれは少しずつ、それ以外の現実を失っていった。グロテ…

認識に関する試論

センス・データ*1は認識されうるものとしてあり、それ自体が認識内容ではない。センス・データが主体により、主体にとって一定の意味を持った部分へと文節(言語化)されてはじめて、それは認識されたことになる。〈意味〉は理論的意味と詩的意味に分けられ…

合衆国における侵略の歴史と銃規制

アメリカ合衆国において銃規制に反対する際の主張として、銃は合衆国の文化や歴史と密接に関わっているから、というものがある。確かに合衆国の開拓の歴史は銃なしには語りえないだろう。だがそこでは、銃が関わってきた合衆国の文化,歴史のある側面が見落…

グレッグ・イーガン『行動原理』

作:グレッグ・イーガン 訳:山岸真 大学の SF 研究会の読書会で読んだので。以下、ネタばれあり。

ナナオのカラーユニバーサルデザイン対応ワイドモニターが欲しい!

こいつで高画質デュアル・ディスプレイ環境を構築したい。

俳句(無季)

父の齢が己が死をもを思はせる

リンク集更新

オンライン店舗に「ジュンク堂書店」を追加。

"Gil Evans’ Orchestra Plays the Music of Jimi Hendrix"

Gil Evans' Orchestra による全曲 Jimi Hendrix の曲の音盤。悪い盤ではない。しかし、若干ポップ過ぎる様に思われる。Jimi Hendrix の曲の演奏は "There Comes a Time"*1に収録されているものの方が良いのではないだろうか。マスタリングの問題もあるのかも…

性別による役割分担への異議の論拠について

性別による役割分担に異議を唱える際、男女は能力的に等しい、などということを論拠にすることは、生物学的に少なからず誤謬であり、不適当だろう。しかし、現代においては、これらの生物学的な性差の内の少なからぬ部分が、何らかの技術を用いることによっ…

意外と鬱陶しいリンクのポップ=アップ・サムネイル

最近、リンク文字列の上にポインタを置くと、リンク先ページのサムネイルを表示するスクリプトが流行っている。僕も始めはこれは便利だ、と感じ、はてなダイアリーに導入できないことを残念に思った。しかし、他所のブログなどでこのスクリプトを使っている…