執拗なまでの都市の描写。
私は都市の象徴的イメージに惹かれる。しかしこれは私が求める都市のイメージなのだろうか。私の求める都市とは、その秩序と無秩序が入り混じった虚構性の中において、辛うじて、しかしある種の強力性を帯びて、現実性が浮かび上がってくるものではなかろうか。
本作においては、アニメーションと云う虚構的な媒体に、過剰とも言える程のリアリティが持ち込まれることに因って、逆説的に主題(都市、平和、戦争、etc)の虚構性が暴かれる。
しかし私はやはり、その虚構性の中にも、例え僅かでも現実への手掛かりがあることを求めずにはいられない。私もまた、南雲しのぶと同様に、それを現実として生きる人々
を確かなものとして捉えたいのだ。
この作品にそれは見出せるだろうか。描かれている人物は現実性を備えているだろうか。都市の描写に拘るあまり、人物の描写が不足してはいないだろうか*1 *2。
物語においては、現実性は辛うじて守られる。だが、映像においてはどうだろうか。私は最後の、都市の中心から離れたシーンにおいて、現実性が回復されていると感じた。超現実的な*3雰囲気を帯びた鳥の群れ。人間的な指の動き。過剰なリアリティを持たないこれらの描写に因って、逆説的に現実性は保たれる。
参考ウェブ・ページ
- 押井守論〜都市へのフェティシズム (このページを読む者に永遠の呪いあれ / sutarin 氏)
関連商品
- 『機動警察パトレイバー 2 the Movie』 (DVD)
附記
なぜ、過剰なリアリティが、逆説的に虚構性を呼び覚ますのか、なぜ、超現実的な描写、人間的な描写が、現実性を喚起するのか、と云うことに関しては、またいずれ改めて書きたいと思う*4。