自分がおたくであるか、おたくであるならどのようなおたくであるのか*1、という問いは、私にとって非常に重要なものであると感じたので、文章化しようと試みてみたが、満足のいくものが書けなかったので、とりあえず現時点での結論だけ書いておこうと思う。
私は、自分が己のおたく的な性質から逃れられない存在である、ということを自覚していながら、自らの中におたくとしての具体性を充分に見出すことができず*2、しかしながら自分が単なるおたくフォロワー*3に過ぎない可能性を否定したいが故に、自らを「おたくのおたく」と定義付け、「おたくエリート」を志向するものである。
当初はこれを、斎藤環氏が『戦闘美少女の精神分析』において述べている「おたくを自認すること」はおたくを逸脱することに繋がりうる
ということと、私がおたくとしての具体性を身に付けるよりも前に、自らのおたくとしての性質に気が付いてしまった、ということを元に論じようかと思ったのだが、書いているうちに何か違うような気がしてきたので、とりあえず理由付けを行うことは断念した。
また、「おたくとしての具体性」という語の定義が曖昧なので、その辺りも検討しなおしたい。
*2006年3月12日 一部改変
関連書籍
- 『戦闘美少女の精神分析』 [別窓] (斎藤環 / 太田出版 / 単行本 / 2100円)
- 『サブカルチャー神話解体』 [別窓] (宮台真司、大塚明子、石原英樹 / PARCO出版 / 単行本 / 2548円 / 紹介者未読了)
関連ウェブ・ページ
- 『戦闘美少女の精神分析』をめぐる網状書評 [別窓] (hiroki azuma portal [別窓] / 東浩紀氏)